“長浜愛”にあふれた建築家が作る、噛めば噛むほど味が出る街・長浜になじむ建物
こんにちは。おばTです。
ボクは今でこそ地元・長浜の魅力を発信していますが、学生時代はあまり思い入れはありませんでした。「長浜には何もない」と思っていたタイプ。
長浜が魅力ある街だと気付いたのは、Uターンしてから。長浜に関わる仕事をし始めたことで、たくさんの魅力に気付くようになりました。
ふと、ボクと同じようにUターンをしてきた人は「長浜のことをどう思うんだろう?」と思ったんです。
そこで、長浜出身で東京からUターンをし、現在は建築家としてご活躍されている佐野元昭さんにお話を聞いてきました。
建築家として見る長浜と、地元出身者として見る長浜。街のことを誰よりも考える建築家はどう思うのか。
仕事へのスタンスを聞いているうちに、“長浜愛”にあふれた取材となりました。
佐野元昭|MAFIS_design.
1979年滋賀県長浜市生まれ。大学は大阪、就職は東京。結婚を機に東京の会社を退職し長浜にUターン。27歳で自分の事務所MAFIS_design.を構え独立。登山、スノーボード、MTBなど野遊びが好き。歴史ある建物を、古着を愉しむように受け継いでいくデザインを心がけている。
<先に分かるデザイン発注のいろは>
<佐野さんが手がけられた建築物>
自然豊かな暮らしを求めてUターン
はじめまして!いろんなところで佐野さんのお名前をお聞きしていたので、お会いできて嬉しいです。
そうなんですね。今日はよろしくお願いします。
まずはじめに、建築家になろうと思ったきっかけを教えてください!
僕の小さい頃は、村の中に棟梁となる大工さんがいました。
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家を建てる際には棟梁を中心に村中の男性陣が集まって手伝いをする、という風習があったんですよ。
みんなで一緒に!?同じ長浜出身ですが、初めて聞きました。
幼少期の僕は興味津々。向かいの家を建てている時には、しょっちゅう遊びに行っていました。
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その時に大工さんがハンマーの使い方を教えてくれたり、土壁を塗ったりする経験をさせてくれて。大工さんへの憧れと興味を抱くようになりました。
小さい頃楽しかった経験は大人になっても覚えていますよね。
小学校の時は、おもちゃのチラシを見るよりも住宅系のチラシばかり見ていました。間取りを見るのが好きで、ずっと見ていたのを覚えています。
よっぽど好きだったんだろうなぁ。
また、小さい頃から母に料理を教えてもらっていて、料理を作るのも好きだったんです。自分が作った料理を食べて喜んでくれるのが嬉しくて。
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進路を決めるまでは、建築家になるか料理人になるかすごく悩んでいました。
料理人を選んでいたらどうなっていたんだろう。
大学は県外の大学に進学されたんですよね?
学生時代はあまり地元のことが好きではありませんでした。おしゃれな店や流行のカルチャーなどに興味があっても、大阪や京都に行かないと触れられない時代。当時は大阪や京都に買い物に行っていました。
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だからこそ、大学では一人暮らしがしたいと思い、大阪にある大学の建築学科へ進学しました。
ここから建築家の道が始まるんですね。
大学卒業後は全国に営業所がある中規模のゼネコンに就職。東京の営業所に配属され、ビルや病院、マンションなどの建物の建築に関わっていました。
長浜にはいつ頃Uターンされたんですか?
2年ほど働き、結婚を機に自然豊かなところで暮らしたいと思い、Uターンすることにしました。
ターニングポイントとなった出会い
Uターン後、すぐに独立されたんですか?
いえ、近江八幡市にあった建築設計やインテリアデザインコーディネート、エクステリアなどトータルプロデュースをする会社で3年半勤務してから独立しました。
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今振り返ると、この会社で働いたことがターニングポイントだったと思います。
詳しく聞かせてください!
会社の社長はめちゃくちゃ尊敬できる人でした。
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日本の家具メーカーのトップブランドのセールス記録を作ったり、東京にもインテリアショップを持ったりしている実績のある人。
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仕事は引く手数多(あまた)で、滋賀にいながら東京や九州、名古屋など全国の店舗プロデュースをされていました。
人との出会いで大きく変わるもんなぁ。ボクの人生が好転したのも“人との出会い”からでした。
会社では今自分がやっている、個人住宅や小規模商業施設の設計を経験させていただきました。ゼネコンでの現場監督経験も活きましたね。また、インテリアのコーディネート販売もしていました。
過去の経験が全部繋がっているんですね。
家の設計からインテリアコーディネート、現場監督まで一気通貫でサポートできるのが社内で僕だけでした。
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1から10まで自分で経験できたことで「独立しても自分で仕事ができるな」と自信になりました。
また、会社員時代、全国紙の建築雑誌に載るような有名な建築家と出会ったことも大きかったです。
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デザインの考え方やアプローチ方法、仕事へのこだわりなどを教えていただきました。
魅力的な人には魅力的な人が集まるんだなぁ。
プロデュース力に長けた前職の社長と、デザイン力に長けた建築家。
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滋賀にいながら全国で活躍しているお二人の姿を間近で見ていたことで、自分も頑張ろうと刺激をいただいていました。
噛めば噛むほど味が出てくる街
独立後のお話も聞かせてください!
元々、長浜で自分の仕事をしたいと思っていたので、長浜で独立することに。
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建築家である以上、住宅を建てる土地の文化や気候、風土の理解が大事になると考えていました。
同じ滋賀県でも北部と南部では全然違いますよね。
気候が違うと家の構造や使う材料が変わってくるんですよね。長浜の場合、積雪に耐えられる屋根にしないといけないですし。
独立したての頃、長浜のいろんな集落を歩き回ったり車で行ったり、とにかく街を見るようにしました。
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すると、今まで見えていなかった長浜の良さが見えてきて「長浜ってめっちゃ良い街やん!」って思ったんです。
具体的にはどんなところでしょうか?
山や川、田園風景も含めて、自然と街が共生している地域だなと感じました。そこからは、日本史も勉強するようになり長浜の歴史についても調べるようになりました。
歴史まで勉強するという発想はありませんでした…!いろんなルーツが見えてきそう。
長浜の実情として、進学や就職を機に良い人材が外に流出してしまっているのと、少子高齢化が進んでいます。
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長浜のまだまだ計り知れない魅力を再発見したり再発掘したりして、長浜の情報を発信していかないといけないという使命感も芽生えてきました。
長浜の魅力を発信したいという気持ち、Uターン組の立場としても共感します。
また、建築家は社会的責任があると思うんです。建築の集合体が街になるわけじゃないですか。建物を作る時には、街になじむようにするのが大事。
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地域のことも十分に理解した上で、建築に関わりたいと思っています。
長浜は発酵食のような大人の街。年齢を重ねるごとに良い街だなと思うし、まだ把握できていない魅力や深みがあります。
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ずっと住んでいても飽きない街じゃないでしょうか。面白い人たちもたくさんいますしね。
長浜以外の世界も見ている佐野さんが「長浜は良い街!」と言ってくださるのは嬉しいです。
お客さんの色や個性を出す仕事
普段お客さんからはどんな相談があるんでしょうか?
長浜への移住を検討しているご家族が古い町家を探す際に、ご相談いただくことがあります。物件を一緒に探すこともありますね。
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店舗の場合、既に目星をつけているテナントでの設計をお願いしたいという相談が多いです。
長浜愛にあふれた佐野さんに相談できるのは心強い。
今後はさらに、古い建物でも「この物件は〇〇することで良い感じになります」という風に、お客さんに分かるようなカタチで情報発信をしていきたい。
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趣のある古い建物を知っていただけると嬉しいなと思っています。
佐野さんを通して知る物件もありそう。
住宅のお医者さん的な立ち位置で、古い建物を扱う経験を積み重ねてきました。
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ダメになった柱を変えるなど、難しい部分もありますが、楽しいですし魅力を感じますね。
最後に、仕事をする上でのこだわりを教えてください。
住宅でも店舗でも、そこに住む人や使う人が本当に良いと思える建築空間を作りたいんです。お客さんがまだ整理しきれていない潜在イメージを、僕が代わりに表現するのが仕事。
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僕がカッコいいと思う建築を押し付けるのではなく、お客さんの“色”や“個性”を出すための工夫をするようにしています。
代わりに表現していただけるのなら、安心して相談できそうです。
最初の打ち合わせで、お客さんには「ワガママになって良いので、やりたいことや叶えたいことを全て吐き出してください」と言うようにしています。
胸の奥で隠していたことも…?
吐き出していただいたことを僕が整理して、優先順位をつけたりプランニングしたりしていきます。
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気を遣わず、気軽に何でも相談していただければOKです。
佐野さんの言葉の端々から感じとれる“長浜愛”。お話を聞いているうちに「長浜で建物を建てる時は佐野さんに相談したい!」と思うようになりました。
住宅でも店舗でも、一生に一度レベルの大金が動く世界。せっかく任せるなら、地域のことも知り尽くした人にお願いしたいですよね。佐野さんには、理想を全て吐き出して納得のいく建物作りをしましょう。
建物に関するご相談やお問い合わせは、佐野さんのホームページまで。
長浜航海記・航海士。永遠の野球小僧。「長浜にはしばらく帰ってこーへん!」と言いつつ、23歳のときに爆速Uターン。以来、地元のことがちょっぴり好きになりました。野球と筋トレ、オードリーが好き